最高裁判所第一小法廷 昭和43年(あ)1100号 判決 1969年3月13日
主文
原判決を破棄する。
本件を福岡高等裁判所に差し戻す。
理由
弁護人吉田孝美の上告趣意第一は、憲法三九条違反を主張するが、第一審の無罪判決に対して検察官が控訴を申し立て、控訴審において有罪の裁判を言い渡すことが憲法三九条に違反しないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二四年新(れ)第二二号同二五年九月二七日判決、刑集四巻九号一八〇五頁、昭和二四年(れ)第五九号同二五年一一月八日判決、刑集四巻一一号二二一五頁)とするところであつて、いまこれを変更すべきものとは認められないから、所論は理由がない。
同第二は、判例違反をいうが、判例を具体的に示さず、同第三は、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
しかし、職権により調査するに、本件公訴事実の要旨は、
「被告人らは、昭和四二年一月二〇日施行の大分県北海部郡佐賀関町町長選挙の選挙人であるが、いずれも、昭和四一年一一月一五日、各肩書住居において、川端甚平から同選挙に立候補の決意を有する須川勝造に当選を得しめる目的をもつて、同人が同選挙に立候補のあかつきには同人への投票を依頼され、その報酬として供与されるものであることを了知しながらそれぞれ現金五〇〇円の供与を受けたものである。」
というのであり、第一審裁判所は犯罪の証明なしとして被告人らに対し無罪の言渡をしたのであるが、原審は、検察官の申請により川端甚平および須川勝造の両名を証人として尋問し、川端甚平の証言の証明力を争うため検察官が申請した同人の司法警察員に対する供述調書二通を取り調べただけで、被告人らの供述を聴くこともなく、一審判決を破棄して右公訴事実どおりの事実を確定し、被告人らに対し有罪の言渡をしたものである。
しかし、原判決および第一審判決が判示するところによると、川端甚平において、右選挙に現町長である須川勝造が立候補する決意を有することを知り、昭和四一年一一月一五日右町長須川勝造および知人の林田治太郎を伴い、最近一、二年の間に家族に死者を出したことのある被告人川中ギノ方、同浜田マサコ方、同若林楽方、同藤沢イチ方を順次訪問し、葬儀には町長が参られなかつたから仏前にお参りさせてくれと言つて、川端および須川の両名が仏間に上がり礼拝し、現金五〇〇円在中の須川勝造名義の香典袋を仏壇に置いて帰つたところ、被告人らは、いずれも、それからしばらくして後、多くは夕方になつて仏前に礼拝した時に香典袋のあるのを発見したというのであつて、右香典袋は直接被告人らに手渡されたものではなく、また被告人らにおいて、川端や須川が仏前に礼拝するときこれに立ち会つた事実は原判決、第一審判決ともこれを認めていないのみならず、本件記録に徴しても、これを認めるべき証拠は全く存しないのである。
してみれば、被告人らは、川端等の来訪を受けた時は勿論、同人等が辞去する際、選挙の時には宜しくと言われたとしても、その当時右香典が供与された事実は知らなかつたものであり、その後仏前に礼拝し、右香典のあることを知り、川端らは、選挙に当たり須川に投票をしてもらうため、礼拝にかこつけて香典名義で右金員を置いて行つたものであることを被告人らが推知し得たとしても、直ちに被告人らが右金員の供与を受けたものと即断することはできない。何となれば、これを供与した川端、須川においても、右香典を被告人らを対象として供与する意思であつたと断ずることはできないのみならず、被告人らにおいても、これを自己に供与されたものとして受領する意思があつたとは断じ難いからである。このことは、本件記録により明らかな被告人浜田マサコを除くその余の被告人らは、いずれも六〇歳前後の老令の婦女であつて、それぞれ働き盛りの長男夫婦が一家の主宰者として家事を切り回している各家庭の一家族に過ぎないものであり、被告人浜田マサコは、昭和四一年一月二〇日浜田英雄と結婚したばかりであつて、英雄の母が一家を切り回しているという事実(第一審第四回公判廷における被告人らの各供述および原判決が犯罪事実認定の証拠とした被告人浜田マサコの司法警察員に対する供述調書参照)に徴しても、これを肯定できるところである。しかも、原判決も判示する如く、被告人川中ギノ方および同浜田マサコ方においては、右香典袋は開封せず、そのままの状態で昭和四二年二月一〇日警察官に提出して押収され、被告人若林楽方においては、開封し香典袋は破り捨てたが在中の五〇〇円札は別の封筒に入れて仏壇の抽斗に入れておき、昭和四二年一一月六日警察官に提出して押収され、被告人藤沢イチ方においては、昭和四一年一一月一五日午後七時頃仏壇に灯明をあげに行くと、須川名の香典袋が仏壇においてあつて、孫の昭二が封を破つたので中を見ると五〇〇円札一枚が入つていたが、封を破つたので返すわけにもいかず、そのまま財布に入れておいたというのであるから、被告人らとしては右香典を自己の自由に処分し得るものとして享受する意思があつたものとは即断し得ないところである。原判決は、被告人藤沢イチについて、同人は右香典を使つてしまつたと判示しているが、これを認め得る証拠は、同被告人の司法警察員に対する昭和四二年二月一〇日附供述調書中の「私は孫が袋を破つてしまつたし、返すわけに行かず、そのままにして置きました。そして、息子忠一が一週間位して帰つたのでその事を話すと、息子がそんなものを貰つてはいけないといつて叱られましたので、その金は家で金をなおして置く財布にいれて置きました。返すといつても誰に返したらよいか判らず、袋を破つているし、そのままにしておいたのであります。今その五〇〇円札は使つたかもれませんが、そんな金は欲しくありませんので私の金をたてかえてもお返ししたいと思つて居ります。」との供述記載以外には存しないのであるが、右「その五〇〇円札は使つたかしれませんが」とは、その五〇〇円を費消したとまで意味するものではなく、右五〇〇円札が他の金銭と混同して特定できなくなつたとの趣旨とも解されるのであつて、原判決の如く「特に被告人藤沢イチは費消しており」と即断することは、たやすく許されないところである。
次に、被告人らが川端らの来訪を受けた時より二カ月余の間、前記香典を供与者に返還しなかつたことに関し、原判決は、「被告人らの中には、当時香典袋の内容が幾何の金員であつたかについて認識するところがなかつたものがあるにしても、内容が現金であることは了知していたものであり、しかも実質が選挙投票の報酬であると知つて仏壇にそのままにしておくとか、返すのも義理が悪く返すわけにもいかずそのままにしていたというのであり、特に藤沢イチは費消しており、いずれもこれら金員を自己の支配下におき、警察官の捜査を受けることがなかつたならば、そのまま同被告人らに帰属するに至るは自然のなりゆきと思われる状態にあつたもので、その利益を自己に帰属させていたというを妨げず、被告人らは川端甚平から須川勝造に当選を得しめる目的をもつて同人に投票するよう依頼しその報酬として供与されることを知りながらこれが供与を受けたものと認めることができる。」と判示しているのであるが、被告人らは、同被告人らの家庭の主宰者ではなく、むしろ隠居もしくは新嫁であつて、右香典を「自己の支配下においた」とか「その利益を自己に帰属させた」とか断ずることはできない筋合である。右香典を供与者に返還しなかつたことをもつて受供与の罪が成立するとしても、これを返還する責任は被告人らにあつたものと即断することはできない。現に被告人川中ギノは、司法警察員に対する昭和四二年一月一六日附供述調書において、「私は香典はそのままにして置き、夕方息子夫婦に須川さん達が……香典を置いて行つたことを話しました。私は年もとつていますので、それ以後は全然香典のことについては子供からも聞いておりませんのでそれをどうしたのか知りません。」と述べているのであり、他の被告人らも、いずれも、香典の処理につき家人と相談しているのである。
してみれば、被告人らに対し前記の選挙に関し、金員の供与を受けたとして公職選挙法二二一条一項四号の罪に問擬した原判決は、事実の認定を誤つた顕著な疑いの存するものであつて、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。よつて刑訴法四一一条三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従つて、本件を原裁判所である福岡高等裁判所に差し戻すべきものとして、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官入江俊郎、同長部謹吾の反対意見があるほか、全員一致の意見によるものである。
裁判官入江俊郎、同長部謹吾の反対意見は、次のとおりである。
弁護人の上告趣意第一が理由がなく、同第二および第三が刑訴法四〇五条の上告理由に当らないことについては、多数意見と意見を同じくするが、本件については、刑訴法四一一条三号を適用すべきでなく、本件上告は棄却すべきであつて、同条号を適用して原判決を破棄し、事件を原審に差し戻す旨の多数意見には賛成することはできない。その理由は、次のとおりである。
刑訴法四一一条三号は、原判決に判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があることを疑うに足りる顕著な事由があつて、これを看過して原判決を確定させることが、著しく正義に反する場合にかぎり、原判決を破棄することができるとしているのである(昭和二七年(あ)第九六号同二八年一一月二七日第二小法廷判決、刑集七巻一一号二三〇三頁参照)。これはいうまでもなく、上告審がみづから事実の取調をすることなく、書面審査のみによつて事実認定に関する原判決の当否を判断するには、おのずから限度が存することによるものである。したがつて、当裁判所としては、記録ならびに証拠資料によつて、原判決に明らかな経験則ないし採証法則の違背があり、その事実認定に著しい不合理な点があつて、事実誤認を疑うに足りる顕著な事由が認められ、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合にかぎつて、原判決を破棄することができるのであり、かような事由が認められないかぎりは、原判決の事実認定はこれを尊重すべきであつて、かかる措置こそ右法条の趣旨に副うゆえんである。
今これを本件について見るに、原審の認定した事案によれば、
(一) 被告人らは、須川町長らが被告人らの家族の死亡の際は礼拝もせず、その後一年ないし一年数カ月後に選挙が近くなつてから仏壇の礼拝を申し込んだことを不審に思い、またその日夕刻までには各各被告人らの仏壇に右金員在中の香典袋の置いてあるのを知り、須川町長が次期町長選挙に立候補することを予想していたので、同町長らが辞去の際宜しく頼むと言つたことも思い併せて右同日右香典袋在中の金員は右選挙について須川町長に投票を得しめるため被告人らに供与されたものであると了知していたこと、
(二) 被告人らは、その家族と相談の上、右香典の金員を約二カ月にわたり本件捜査が開始されるまで、そのまま、仏壇に置きまたは他の封筒に入れて仏壇の抽斗に入れたりして、これを須川町長らに返戻せず、あるいはこれを費消してしまつたこと、
(三) 被告人らが、右選挙については各選挙人であつたこと、
が認められるというのであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに十分である。
右原審認定の事実関係のもとにおいては、本件香典袋在中の金員が右選挙について須川町長に当選を得しめる目的をもつて同人への投票方を依頼され、その報酬として供与されることを了知の上、被告人らがこれを自己の支配下におき、警察官の捜査を受けることがなければ自己に所属せしめるに至ることは自然のなりゆきと思われる状況において、自己にその利益を帰属させていたものであつて、右被告人らの受供与の事実を認め得る旨の原審の判断は相当である。その認定判断の過程において、明らかに経験則ないし採証法則に違背し、著しく不合理な点が存するとは認められない。
被告人らがその家計の主宰者でなく、本件供与者が被告人らの他の家族である選挙人の投票をも得る意図であつたか否かは別として、少なくとも被告人らも本件選挙について選挙人であつたのであり、供与者において被告人らの投票を除外視することの認められない本件においては被告人らについて受供与罪の成立をさまたげる理由は存しない。本件供与の形態を見れば、被告人らの受供与の態度は消極的であり、且つ、金員を供与者に返戻することが当該地方の情況として感情上躊躇するものがあつたにしても、そのことをもつて本件受供与の事実を否定することはできない。もつとも、情状としては、被告人らの置かれた地位は、供与者のそれに比してまことに同情すべきものがあるが、それはあくまで情状に関する問題であり、犯罪の成否の問題ではないのである。原審は、被告人らの科刑については、罰金刑に処し、これに執行猶予の宣告を附しているのであつて、原審のこの点に関する判断も相当である。
然らば、本件は未だ職権を発動して刑訴法四一一条三号を適用すべき事案に該当しないから、本件上告は棄却するのが相当である。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠)
<参考>第一審判決
(昭和四二年一一月二一日宣告)
〔主文〕 被告人等は全員無罪
〔理由〕 検察官の起訴にかかる公訴事実によると、被告人等は川端甚平が昭和四二年一月二日施行の佐賀関町長選挙に際し、須川勝造が立候補する決意を有することを知り、同人に当選を得しめる目的をもつて、いまだ同人の立候補の届出のない昭和四一年一一月一五日同選挙の選挙人である被告人等に対し、右須川勝造のため投票並投票取まとめ等の選挙運動をされたい趣旨で、その報酬として現金各五〇〇円を供与するものなることを諒承して、各自宅において夫々供与を受けたものというにある。
被告人及弁護人はこれに対し、右供与の事実を否認し右はその日時川端甚平が、林田治太郎と共に町長須川勝造の案内をして被告人方を訪れ、仏壇に香典として置いて帰つたものを、多くは夕方になつて発見したもので被告人等には受領の意思は全くなく、返還するつもりで仏壇にそのまま置いたりその抽斗に収納したりしていて、返還の時期を逸したまま警察の取調を受け押収されたものであると主張する。
一、そこで右主張について検討する。
(1) <証拠>を綜合すると次の事実が認められる。
(2) 従来佐賀関町では、町民に死者が出て葬儀に際しては町長須川勝造が、花輪や香典を供える慣習があり、それを貰わなかつた者たちの中に町長は不公平だと非難するものがある旨を聞いた川端甚平が、斯る町民の不平は町長須川が将来町長改選に際して不利益を及ぼす虞があると考え、嘗て肉身を失い不幸のあつた被告人等にも香典を供えその不平を和げようと決意し、独断で町役場備付の町長須川の記名ゴム印を押した五〇〇円包の香典袋を作り、同じく志を一にする林田治太郎と共に町長須川を同道して右日時頃先づ最初に
(3) 被告人川中ギノ方を訪れ玄関先の前庭に出ていたギノに対し立つたまま川端が、息子さんの葬儀には町長は不在で参列できなかつたから仏様に参らせてくれといい、被告人ギノは今頃参らんでもいいにと云つたが、町長須川と川端が玄関脇の四畳の間に上つて行つた、ギノは右川端も林田も同部落であるから知らぬ顔もできぬと思い、仏間を開けてやつたところ右両名が仏間に入つたがギノは別間にいたので両人がどんな参り方をしたか知る由もなく、一分間程して出てきてギノに何か言つたがギノは聞取れず、外で待つていた林田と共に三人は帰つて行つたこと。
その後ギノが仏壇をみると、字は読めないが朝仏壇に参つたときにはなかつた香典があるので、町長須川と川端が置いていつたものと思いそのままにして、夕方帰宅した三男三好夫婦と、葬儀がすんで二年も経つた今頃香典でもあるまいに馬鹿にしていると話合い、選挙に関係があるかもしれず返却せねばと話合つたが、川端や林田が同部落であるため気まづい思いをするに困り、開封もせず何程の金額かもわからないまま三男が仏壇の抽斗中に収納し、返還する機会を待つている内警察の取調を受けて押収され五〇〇円が在中していたことがわかつたこと。
(4) 被告人浜田マサコは前記日時、来合せていた夫の姉相賀ツルと昼食の用意をしているとき、川端が前庭から台所をのぞき込み、仏様に参らせてくれというのでどうぞと答えたところ、川端と町長須川が玄関から上り奥の仏間に入り、礼拝後玄関脇の六畳で応待したマサコに対し川端が、町長が葬儀の時不在で参れなかつたので今日参らせて貰つたと言つたが、父の葬儀は既にすんだのにおかしなことを思つたが、川端も林田も同部落であるから止むなく応待したが、母がいたら参らせなかつただろうと思つていると、川端が宜しくたのむと云つて三人で帰つて行つたこと。
被告人マサコは習慣通り夕方五時半頃仏壇に燈明をあげにいつたところ、町長須川名義の香典のあるのを発見し、姉にも見せ午後七時頃帰宅した夫と三人相談の上、名古屋の妹の出産の手伝いに行つている母の帰宅まで、香典はそのままにしておこうと申合せ、同月二三日帰宅した母と相談した結果選挙に関係があるかもしれずと思い、そのまま仏壇におき折をみて返却するつもりでいたところ、警察に押収されその際五〇〇円が在中していたのを知つたこと。
(5) 被告人若林楽は右日時中食中、嫁が町長がきたと言うので玄関に出ると、町長須川と川端、林田の三名がいて、仏に参らせてくれと言うのでどうぞと答えると、町長須川と川端が上つて行き仏壇に礼拝したが、夫音二郎は二年も前に死んだものを今頃になつて馬鹿にしていると腹が立つたが、間もなく出てきた二人は庭の間に座つていた被告人楽の前に座り、両名で御願いしますと言つて玄関にいた林田と共に帰つていつたこと。
被告人若林がいつもの通り夕方仏壇の燈明あげにいつたところ、須川名義の香典があり葬儀のときは他家には花輪や香典を供えるのに、自分の内には何も供えず今頃になつて馬鹿にしていると思つたが、開けてみると五〇〇円札が一枚入れてあり、選挙に関係があるかもしれずと考えたので、折を見て返すつもりで仏壇の抽斗中に収納し、警察に押収されたこと。
(6) 被告人藤沢イチは前記日時町長須川と川端等三名が玄関に入り、川端が町長が仏様に参りにきた参らせてくれといつて、町長須川と川端が仏間に入つたが玄関を出るときイチに川端が宜しくたのむといつて帰つたこと。
被告人イチ方では昭和四〇年祖母が死亡したが、町長は他家には花輪や香典を供えるのに、被告人方には花輪が来なかつたので、その詫びに仏参りにきたものと思つていたこと。
午後七時頃イチは何時ものように仏壇に燈明をあげるため孫晶二と一緒に仏壇の前に行つたところ香典が置いてあるのを孫が見つけ、こんなものがあるといつて封を開けると五〇〇円札が一枚入れてあり、そのときは町長選挙など考えなかつたが、一週間程して長男が航海から帰り、そのことを話すと貰つてはいけないと叱られたので、返すつもりで自分の財布に入れて持つていたが、誰に返したらよいかわからず保管していて警察の取調の際提出すると申出たが警察が受取らなかつたこと。
二、以上の客観的状況と前掲各証拠によつて被告人等がとつた香典についての処置をみると、被告人等は川端から直接香典を受領したものでなく、従つて受領について積極、消極何れも明示的な表意をする暇もなく、且被告人浜田を除く各被告人は老齢で、留守番が漸く可能で無学或は文盲で思考力とぼしく、川端が被告人等の知らぬ間に仏壇に供えた香典が、町長須川への投票を依頼する趣旨の報酬と認識した等とは到底認められないところ被告人等が捜査の段階でそのような認識を持つに至つたのは、被告人等が夕刻偶然発見した香典について、家人と共に考えた結果、町長選挙に関係あるやもしれずと言われて、そのように思い込み、二カ月余後の捜査取調の際にはそのような考えが、被告人等に潜在的に存在していて斯る供述をしたものと考えられる。
三、そこで問題になるのは、香典をそのように考えるに至つても尚それを、押収に至る以前何等かの方法で返還できたのではないかということであるが、前に認定した通り川端や林田は被告人と同部落である関係上返す気まづさの故に、これを放置していたもので、この点に関し昭和二九年四月二七日東京高等裁判所は、選挙運動を依頼され金員を受取つたものが、返還できたのにかかわらず事件の発覚まで長期間これを秘匿していたときは、その金員を自己の所有とする意思で交付を受けたと認めるのが相当と判示する。右判決に照すときは被告人川中と浜田は、香典を開封せずそのまま仏壇に供え置き又は仏壇の抽斗中に収納し、被告人若林は開封したが五〇〇円札は仏壇の抽斗中に収納し、被告人藤沢は孫が開封して五〇〇円札を取出したので、己むなく自己の財布に収納し保管していたことが明かで、右所持の期間中は香典の金員は終始同一性を保つていたことは勿論従つて被告人等が他に使用処分した事実がなく、殊更に利益を得たということはできないから、これをもつて秘匿していたということはできず、従つて被告人等は右五〇〇円の供与を受けたことにならないというべきである。
四、なお供与罪が成立するためには、供与の申込だけでは足らず、供与の申込を受けた者がその供与の趣旨を認識して、これを受領することを要することは、昭和三〇年一二年二一日最高裁判所の判例が示す通りである。従つて供与罪は相手方の供与行為と相まつて成立する必要的共犯であるところ、前示川端甚平については昭和四二年四月二〇日大分簡易裁判所において、本件被告人に対する金員受授につき供与罪の成立を認めた略式命令があり、該命令は、同年五月四日確定していることが記録上明らかであるが、右略式命令は本件とは別離に審判されたものであつて、別個の裁判所により異別の審理を経たものである以上、右略式命令の結果は本件審判に影響を及ぼさないと考える。
以上の通りであるから本件訴因は結局犯罪の証明がないものとして、刑訴第二三六条後段により無罪の言渡をする。
(大分簡易裁判所)
<参考>第二審判決
(昭和四三年四月三〇日宣告)
〔主文〕 原判決を破棄する。
被告人等を各罰金五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。
但し、本裁判確定の日からいずれも三年間右各刑の執行を猶予する。
領置してある立会封金五〇〇円札一枚(福岡高等裁判所昭和四三年押第四四号符号一)は被告人川中ギノから、立会封金五〇〇円札一枚(同符号三)は被告人浜田マサコから、立会封金五〇〇円札一枚(同符号五)は被告人若林楽からそれぞれ没収する。
被告人藤沢イチから金五〇〇円を追徴する。原審並びに当審における訴訟費用は全部被告人等の負担とする。
〔理由〕 <前略>よつて所論に鑑み原審の事実認定の当否について検討するに、原判決挙示の証拠によれば、川端甚平は大分県北海部郡佐賀関町の次期町長選挙に現町長須川勝造が立候補する決意を有することを知り、これまで須川町長から葬儀の際花輪が届けられなかつた家庭に不平があることをきいて、同町長を説いてこれらの家庭を廻つて仏様参りをさせ、その際、ひそかに次期町長選挙の際には現町長の須川勝造に投票を得しめる目的で投票を依頼し、報酬として現金五〇〇円を供与しようと考え、同額の現金の入つた須川勝造名の香典袋を用意して、昭和四一年一一月一五日須川町長、林田治太郎と共に被告人方を訪れることとなつたこと、そこでまず右川端等三名は被告人川中ギノ方をたずね川端から息子さんの葬式には町長は参ることができなかつたのでお参りさせて下さいといつたところ、川中ギノは四男八十吉が昭和四〇年一〇月二一日死亡してから一年以上もたつのに選挙が近くなつてから仏参りに来たと思うと腹が立つたが、川端や林田が同部落の者であつて、とりあわないと失礼になると考えともかく座敷にあげることにしたこと、そこで須川町長と川端は仏間で拝礼したあと川端がひそかに仏壇に前記用意の香典袋を置いて退出し帰りの挨拶をして林田と共に帰つていつたこと、しばらくして同被告人は仏壇を見ると香典袋があるのを見つけたが、町長選挙のときは須川に投票してくれという意味でその報酬であると思つたものの、これを返戻するのも義理が悪く、開封しないでそのままにしておいたこと、そして昭和四二年一月一六日警察官の取調を受け同年二月一〇日右香典袋を警察官に提出したこと、川端等三名は被告人川中方に続いて昭和四一年一一月一五日被告人浜田マサコ方をたずね川端が仏壇に参らせてくれといつて須川と共にお参りをし、前同様の香典袋をひそかに仏壇に置いておいたこと、同被告人は別間で須川町長等と応待したがその際同被告人の父の葬儀のときは不在で参られなかつたので今日参らせてもらつたと挨拶があつたので同被告人は今頃になつておかしなことと思つたこと、川端等三名が同被告人方を辞去する際川端から同被告人に対し次期町長選挙に須川が立候補するのでよろしくお願いするといつたこと、同日午後五時三〇分頃、同被告人が仏壇に燈明をあげにいくと、須川勝造名の香典袋があるのを発見し、上記川端の言葉と思い合せて次期町長選挙のときには須川勝造に投票を依頼しその報酬の趣旨であることが分つたので家族と相談しそのまま仏壇にあげておいたこと、昭和四二年二月一〇日警察官の取調を受けたのでその際これを提出したこと、次に川端等三名は右被告人方に続いて昭和四一年一一月一五日被告人若林楽方をたずね、前同様申出をして仏壇にお参りしたが、同被告人は夫音二郎は前年三月死亡したのに今頃になつて馬鹿にしていると腹立たしくなつたこと、川端は仏前を退去するにあたつてひそかに用意の前同香典袋を仏前に置き、同家を辞するにあたつて右被告人に対しお願いしますといつたこと、同被告人はこれをきいてこれまで来たことのない町長が来て仏様にお参りしたのは次期町長選挙が近くなつたので同選挙のときには須川勝造に投票をたのむということをいつているものと思つたこと、そしていつものように夕刻仏壇にお参りをしたとき須川勝造名の香典袋が置いてあるのを発見し同人に投票依頼の報酬を香典にかこつけてくれたものと思つたこと、そこでそのままにしておいてしばらくしてから開封してみたら現金五〇〇円が入つていたこと、そして須川勝造名の香典を返すわけにもいかず、そうかといつて仏前に置くことは他人がお参りしたとき変な眼でみられてはと思つて袋は破り捨てて別の封筒に入れて仏壇の抽斗に入れておき昭和四二年一月一六日警察官の取調を受けるに至つて右現金五〇〇円を提出したこと、川端等三名は昭和四一年一一月一五日右被告人等方をたずねたあと石崎泰子方及び相浜庄市方を訪れ更に被告人藤沢イチ方をたずね、同被告人に対し仏様を参らせてくれと申出たこと、同被告人は昭和四〇年に母が死去したときは町長の花輪が届けられなかつたので、そのわびに来たと思つていたこと、須川町長と川端は仏前で礼拝した後川端がひそかに前同香典を仏壇に置いて同家を辞去したが、その際同被告人に対しよろしくお願いしますといつたこと、同被告人は次期町長選挙に須川勝造が立候補することは知つていたし、部落の有志が一緒であつたところから選挙の際に同人に投票するよう依頼するものと思つたこと、そして同日午後七時頃仏壇に燈明をあげにいくと須川勝造名の香典袋が仏壇に置いてあつた、孫の昭二が封を破つたので中を見ると五〇〇円札一枚が入つていたので、須川勝造への投票を依頼しその報酬の趣旨であると思つたが、封を破つているので返すわけにもいかず、そのままにしていたら長男忠一から叱られたので財布に入れておいたが、いつの間にか使つてしまつたことを認めることができる。
右によれば被告人等の中には当時香典袋の内容が幾何の金員であつたかについて認識するところがなかつたものがあるにしても、内容が現金であることは了知していたものであり、しかも実質が選挙投票の報酬であると知つて仏壇にそのままにしておくとか、返すのも義理が悪く返すわけにもいかずそのままにしていたというのであり、特に被告人藤沢イチは費消しており、いずれもこれら金員を自己の支配下におき、警察官の捜査を受けることがなかつたならばそのまま同被告人等に帰属するに至るは自然のなりゆきと思われる状況にあつたもので、その利益を自己に帰属させていたというを妨げず、被告人等は川端甚平から須川勝造に当選を得しめる目的をもつて同人に投票するよう依頼しその報酬として供与されることを知りながらこれが供与を受けたものと認めることができる。
すると、原審が被告人等は警察官の取調を受けるまで右金員の趣旨を了知していなかつたものであり、また返すことの気まずさの故をもつて一時保管していたにすぎないとして受供与罪の成立を否定したことは証拠の取捨価値判断を誤り事実を誤認したものというべくこの誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。論旨は理由があり、答弁は採用しがたい。
そこで刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄したうえ同法第四〇〇条但書に従い更に判決をすることとする。<後略>
(福岡高等裁判所第二刑事部)